A.日語新聞中文版
2022年5月15日是沖繩回歸日本本土50周年。至今仍有七成的駐日美軍專用設施集中在沖繩,而且在經(jīng)濟層面沖繩縣民的收入也僅有全國平均值的75%。因此,如何實現(xiàn)回歸當時人們曾期盼的“與本土持平”這一目標,依然有許多亟待解決的課題。
在沖繩戰(zhàn)役之后,沖繩被置于美國統(tǒng)治之下長達27年之久,并于50年前的1972年5月15日回歸日本本土。
雖然與回歸當初相比,美軍專用設施的面積已減少至三分之二,但至今仍有大約70%的專用設施集中在沖繩,而沖繩的面積則只不過是日本國土面積的大約0.6%。
從駐日美軍基地衍生的事件和事故,以及噪音等造成危害和損失的情況層出不窮,關于日本中央政府正在推進的將普天間基地搬遷至名護市邊野古近海的計劃,沖繩縣政府持反對態(tài)度,雙方的嚴重分歧并未消除。
另一方面,在經(jīng)濟層面,由于旅游業(yè)的迅速發(fā)展,沖繩的旅游收入在截至2019年的10年期間增長至近2倍。過去曾是全國2倍左右的完全失業(yè)率在2019年時已下降至2.7%,縮小了與全國之間的差距,當時全國的完全失業(yè)率為2.4%。
但是,沖繩縣民的人均收入2018財年時為239萬余日元,只停留在全國平均值大約75%的水平,兩者之間的差距至今依然很大。
所以,如何實現(xiàn)沖繩民眾在回歸本土時曾期盼的“與本土持平”這一目標,在50年過后的今天,依然有許多亟待解決的課題。
B.日語新聞簡易版
沖縄が日本に戻ってから50年 今も多くの問題が殘る
沖縄は、太平洋戦爭のあとアメリカになって、1972年5月15日に日本に戻りました。
50年の間に、沖縄にあるアメリカ軍の基地の面積は、30%以上小さくなりました。しかし、日本の面積の0.6%の沖縄に、日本にあるアメリカ軍の基地の70%が集まっています。沖縄では、基地と関係がある事件や事故、飛行機などの音の問題が続いています。
経済については、観光の収入が2019年までの10年で約2倍に増えました。しかし、2018年の沖縄に住む人の平均の収入は約239萬円で、日本全體の75%だけでした。
15日、沖縄が日本に戻ってから50年を記念する式がありました。岸田総理大臣は「沖縄は50年でしっかりと発展しました。政府はそれを助けてきました。沖縄の人たちが今も基地の問題で困っているので、減らしたいと考えています」と話しました。
*漢字讀音請參考圖片
C.日語新聞普通版
沖縄本土復帰 きょう50年 「本土並み」実現(xiàn)に今も多くの課題
沖縄が本土に復帰してから15日で50年となります。
沖縄には今も在日アメリカ軍専用施設の7割が集中しているうえ、経済面でも県民所得が全國の75%にとどまり、復帰當時に人々が期待した「本土並み」の実現(xiàn)には課題が多く殘されています。
沖縄戦のあと27年にわたってアメリカ統(tǒng)治下に置かれた沖縄は、50年前の昭和47年5月15日、本土に復帰しました。
15日は沖縄県と政府による記念式典が沖縄と東京の2つの會場で同時に開かれます。
本土復帰當時と比べるとアメリカ軍専用施設の面積は3分の2に減少しましたが、國土面積のおよそ0.6%にすぎない沖縄には今も専用施設のおよそ70%が集中しています。
基地から派生する事件や事故、騒音などの被害は後を絶たず、政府が進める普天間基地の名護市辺野古沖への移設をめぐっては、県が計畫に反対していて溝は深まったままです。
一方、経済の面では観光業(yè)の急成長で観光収入が令和元年までの10年間で2倍近くに増えました。
また、かつて全國の倍ほどの高さだった完全失業(yè)率は、令和元年には2.7%にまで下がり、全國(2.4%)との差は縮まりました。
ただ県民1人當たりの所得は平成30年度の時點で239萬円余りと、全國のおよそ75%にとどまっていて、今なおその差は大きく開いています。
沖縄の人々が本土復帰に期待した「本土並み」の実現(xiàn)には、50年がたった今も課題が多く殘されています。